9月25日は大和久 海斗君の15歳の誕生日です。
しかし海斗君は今年の1月26日に天国へ旅立ってしまいました。
海斗君は小学校一年生の時に教室に来ました。3つ上のお兄ちゃんと一緒に通っていました。
サッカーが得意で、とにかく明るく よく笑い そして とても優しい子でした。
教室で元気の無い子には上の学年、下の学年問わず話しかけて 周りを明るくしてくれました。
海斗君の周りの生徒は、どんな子でもいつも笑っていました。
突然の父の交通事故で私が元気がなかった時も、海斗君だけは気付いたようで「どうしたの?何か今日、元気ないよ」と心配してくれました。
海斗君が六年生の時に病気が発覚しました。
骨肉腫でした。
六年生の時に長く学校もお休みしましたが中学1年生でまた、明るい笑顔で戻って来てくれました。
海斗君は入退院を繰り返していました。入院中には素敵なイラストをたくさん送ってきてくれました。見ていて心が ホッコリと暖かくなるような可愛いイラストでした。
お見舞いに行くと、いつもちょっと照れくさそうでした。
でも退院して教室に来る時は元気いっぱいで いつもの海斗君でした。
ずっとこのまま元気でいてくれると、私は信じていました。
年が明けて メールしたのに返信が返ってきませんでした。そしてお母様からお見舞いなら早めに という連絡をいただき、お見舞いに行きました。
苦しそうで辛そうな海斗君でした。
でも辛いながらも「分かる」と返事をしてくれました。
翌々日も同じくらい辛そうでした。
その翌日に皆で、うちわに寄せ書きをして それを持って行こうとしていた朝に、お母様から、少し前に海斗君が天国へ行ってしまったというご連絡をいただきました。
信じられませんでした。
こんなにも願っていたのに海斗君は本当に いなくなってしまいました。
海斗君と仲が良かった高校生達に連絡しました。
どの生徒も忙しい中でしたが皆、「海斗に会いたい」と言ったので一緒にご自宅に会いに行きました。
帰り、車で自宅に送っている時に何人かの生徒に「海斗が元気な時に会いたかった。何でお見舞いに誘ってくれなかったの」と泣きながら責められました。私自身も、もっと時間を作って、海斗君とおしゃべりをしたかった…
取り返しの付かない様々な事に、暫く悔まれました。
海斗君がいなくなって考え方も変わりました。
どんなに願っても叶わない非情な事はある。だから、その時に出来る事を理由があっても後回しにしてはいけない。
高校生の生徒も「死にそう」「死にたい」という言葉が使えなくなったし、聞きたくもないと話してくれました。海斗君の死によって 彼らの中の何かが変わったのだと感じました。
暫くして海斗君の写真は元気な時の写真は一枚も無く、入院中の写真しか持っていない事に気付きました。海斗君に限らず他の生徒の写真も持っていませんでした。
この事が、私がブログを始めようと思ったきっかけです。
教室での元気な皆の姿を残しておきたい。と強く思いました。
今は海斗君の弟の五年生の生徒が元気に通ってくれています。
時々、海斗君の話題になった時や、弟君を見ていて泣きそうになってしまう時があります。そんな時、「なに泣いてるの!?」なんて、弟君に言われたりします。
当たり前なのですが、やっぱり似ているので…
私はこれからもずっと海斗君の笑顔を決して忘れません。
海斗くん
お誕生日おめでとう!